「ちゃんと育てたい」自分がいることを認め、手放す
「この子は今、自分で育とうとしているんだな」
そんな風に捉えられた日の練習は私からでる言葉も変わります。
「ママは教えんといて!」と拒否する娘に
「そっか、自分でやりたいんやな」
「ごめん。ママ見とくから、分からんところがあったら聞いて」
と言って、あとは黙る。
そして、
「練習不足は親の私のせいだと思われる」
「間違えずに全部弾けるように練習しないといけない」
「次のレッスンまでにこの曲を完成させないといけない」
の思い込みを脇に置くことに集中。
思い込みが少しゆるんだら、
鍵盤を押して、思いどおりの音が鳴るまで格闘している娘は
楽譜通りに弾けていなくても、
今なにか大事な感覚を得ているんだろうな、と見えてきます。
教えられたくない、という娘に、教え続けようとしたときは、
「あなたにはできない」と私に信じてもらえてないようで
娘は悲しかったのかな、と思ったり…
そうやって見守っていると、「ママー」と少し落ち着いた娘が私を呼んでくれます。
さっきまでは頑なに「教えないで!」の姿勢でしたが、
「次は何の音?」「これであってる?」と自然にヘルプを求めてくれて、
お互い穏やかな気持ちで練習が進められます。
娘が、娘自身の人生の主体であること。
親の自分がその代わりをやってしまおうとしないこと。
そんなことを娘から学びながら、その自立心をとてもまぶしく感じた出来事でした。